ひとりごと」カテゴリーアーカイブ

母の日

いつも忙しくしている母に、サプライズで「母の日」に日頃の感謝の気持ちを伝えることにしました。

まず、妻にサンドウィッチを作ってもらい、昼食として用意しました。次に私はメッセージカードを作り、花札と一緒に実家に持っていくことにしました。最後に実家に行く前に花屋でブーケを買いました。

実家についてまず、母にブーケを渡し、「いつもありがとう。」と言ったら、母は明るい笑顔で「私にも母の日が来たの?」と喜びました。そして、お茶を飲みながら、話をしていた時に、メッセージカードを渡しました。母は「今、開けて良いの?」と言うので、私は「好きな時で良いよ。」と答えたら、母はすぐにメッセージを読みました。

昼食の時間になって、妻の作ったサンドウィッチを皆で食べました。

花札の「こいこい」を3人で代わる代わるやって、楽しみました。

帰りがけに私は母に「長生きしてね。」と言いました。

母はよっぽどうれしかったらしく、私たちが自宅に着いたのを見計らって、めったに送らないスマホメッセージを私と妻に送ってくれました。

今日、私は多くの幸せを感じました。

自分を見つめて

いつも心豊かに過ごしたいと思っています。経済的なことを考えると、本当に貧しいせいか、心が貧しくなってしまいがちです。でも、明るく前向きに生きていきます。

このサイトは昨日から、外部に向けて、発信するようにしました。なかなか困難でしたが、ルーターの設定を変更して可能になりました。その際はNTTの機器取り扱いについて、電話サポートにお世話になりました。外部に発信できていることが確認できた時は本当にうれしかったです。

人との交流を大切にしています。今、自分が幸せだと感じられるのは周りの人たちのおかげだと思うからです。このサイトでも、コミュニケーションを取りたいと思っていたのですが、どうしてもスパムメールがたくさんやってくるので、コメントできないようになっています。私からの一方通行ですみません。こんなサイトを見てくれる方がいるのかなぁ。

私は夜に短期覚醒してしまうことが多く、この書き込みも深夜です。肥満からくる無呼吸症候群によるものだとわかっています。なかなか運動できないのが私の悩みです。現在、血圧や中性脂肪やコレステロールの薬を飲んでいます。体重が減れば、これらの薬からも解放されるのでしょう。大学の一般教養で薬は毒を薄めたものだということを聞いて知っているのに、それをやめられない。ツケはいつか自分に帰ってきてしまうでしょう。早く改善したいものです。

スマホに来た情報で、日本の食品添加物の使われる量は、中国、韓国に続き、世界第3位の多さだと知りました。外食やコンビニ・スーパーの弁当にも多量に含まれているのでしょう。多分、お菓子も多いかもしれません。美味しいと思って食べているものが、体に良くないことが、往々にしてあります。これも注意したいところです。

音楽や映画鑑賞が好きなのです。もっぱら家でですが、かなりのウェイトを占めています。最近の音楽のスピードが速く感じるようになってしまったのは、年を取った証拠でしょうか?好きなシンガーソングライターに「柴田淳」さんがいるのですけれども、彼女は最近「救急救命士」の資格を取得しようと頑張っていらっしゃるようです。見習いたいものですね。私はパソコンを使えることに喜びを感じるので、これからプログラミングを会得したいと思っています。日常でWordPressを使っているので、PHPという言語を学びたいと本だけは用意してあります。なかなか実践できません。このサイトも勉強中は外部から見えなくなることが予想されますので、そのつもりでいて下さい。

早速やってみようと思います。それではまた。

彼岸

菩提寺のお墓にお彼岸のお参りしてきました。おろかな私はお彼岸とお盆と勘違いして、父を実家に連れて帰るつもりで、小さな遺影を持って行ってしまいました。母はうちに関わるお墓を案内してくれました。彼岸の入りにお参り出来て良かったです。当初は私に予定があり、いけないはずでしたが、コロナ禍で予定がずれて、行くことができたのです。心が安らいだ感じがしました。

彼岸の中日は、実家に行き、母と話をしていました。私がパソコンで昔の写真を見せたら、祖父母の写真や、年と共に変わりゆく父の写真や、飼っていた猫の写真が出てきました。気丈な母が、めずらしく腰痛を医者に訴えて、レントゲン検査をしてきたと聞いて、私は心配になりました。こういうことは早い方がいいと、自宅に帰った私は、家庭の医学や名医のいる病院の本を引っ張り出して調べまくりました。なかなか近くに良い病院がないので、せめて最寄りの整形外科にかかるように勧めたら、母に嫌がられてしまいました。

私の知り合いが間違えて、私に送ってきたメールを見て、私はがっかりしてしまいました。私は悪気がなかったのに、その人はそうは思わなかったようです。人間関係は本当に難しくて、私は悩んでしまいました。妻に打ち明けましたら、最初は困った顔をしていましたが、すぐに寝てしまいました。私は死にたくなりました。いったい誰が私を支えてくれるのでしょうか。でもそれは私の甘えでしょうか。

今日は天気が悪いので、一日、家で過ごすつもりです。私はこうしている今も、すやすや寝ている妻に、どうしたら私の抱える苦難を理解してもらえるのか考えました。何年もこの調子です。あきらめるしかないでしょう。私はブログを書いているうちに、「自分のことは自分しか助けてくれない」と気づきました。なので、これからの時間は、自分を大切に、心豊かに過ごせる時間にしたいと思います。

父の一周忌

朝早く起きて、ライフワークを考えていた。
できた表を父に報告して良いものか否か悩んだ。

8:45には、実家についた。
支度をして、車で待っていたが、皆が一向に出てこない。
弟のスーツが見つからず、弟は行けないということになった。
その間、9:30まで、外で待っていたために、急がなくてはならなくなった。
蓮田のスマートインターチェンジから高速にのったら、
川口付近で渋滞。30分~1時間かかるというので、
住職に遅刻のメッセージを入れた。
返事が返ってきたので、落ち着くことができた。

10:50には寺に着いた。裏の駐車場に置かせて頂いた。
皆、一斉にトイレを借り、一周忌の準備を母がした。
一周忌は1時間ほど行われた。住職のお説教がありがたかった。
コロナ流行のお話。
日本は天皇がいて、歴史が長い。日本は素晴らしい国だというお話。
わかりやすい仏教のYouTubeのお話。
勢至菩薩が知恵と光をお与え下さると伺った。
住職はこの後横須賀の葬儀に行くというので、長話はできなかった。

その後、皆で墓参りをした。その頃、私の革靴はペナンペナンに裂けていた。
墓参りの後は、会食をせず、帰宅した。
実家で私は妻と一緒に母の話を聞いて帰った。

深夜22:00頃、自分のライフワークが不安で、母に電話したら、否定されてしまった。
結局、これからの時代は自分の判断で生きていかねばならないのだろう。

父の新盆

2020年7月12日(日)
明日7月13日(月)は昨年に亡くなった父の新盆で都内へ迎えに行きます。母は今日までずっと前から準備していました。今日も実家で父の話をしていましたけれども、つくづく良い人だったと思ったのでした。

2020年7月13日(月)
今朝、9時頃には実家へ行き、お盆の支度を少しだけ手伝いました。キュウリとナスが4本足の動物になるようにハシを刺しますが、キュウリが迎えの馬で、ナスが送りの牛だと、妻から聞きました。私は馬を作りました。菩提寺では住職が線香に火をつけて下さいました。疫病退散・息災延命のお守りを頂戴しました。線香入れを持ってきたので、それで線香をあげました。私はお墓の水差しを掃除しました。お墓の裏に父が昭和50年に建立したと掘ってありました。祖父が亡くなって1年後のことです。当時は大変だったと母から聞いていました。行きも帰りも車で高速にのったので、11時には実家に帰ってきました。14時頃にうな重を食べて、自宅に帰りました。

2020年7月14日(火)
午後に実家に行き、大きな、おはぎを2つ食べたら、急に眠くなって、1時間位寝てしまいました。きっと、午前中までコンピュータを使っていたからだと思います。ご先祖様に、お菓子とお線香をあげてきました。母は昔の人がお盆や彼岸を考えてくれたおかげで、ご先祖様と向き合える機会があってありがたいと言っていました。母からとれたばかりの野菜をもらって帰りました。

2020年7月15日(水)
今日はお盆当日だった。自宅では火の出ない電気のロウソクを父の写真の両わきに1本ずつ2本立てて自宅のお盆とした。午後から実家に行った。私は実家にある仏様用ガスライターのためのガスを買って持って行った。そしてカラのライターにガスを注入した。盆棚には叔父から送って頂いたメロンがのっていた。母は自然系あるいは農業系のYouTubeにはまっていて、その話でもちきりだった。私が次に仏様がまとまってくるのはいつかと母に聞いたら、母は答えてくれなかった。来年のお盆が当たり前だが、その時私が来るとは思っていないのだろう。私は父の新盆の盆棚を写真におさめるか悩んだが撮影しなかった。明日の午前中には、盆棚はなくなっているであろう。母が畑で作りとれた野菜や干しエビの天ぷらとキュウリの漬物をもらって帰って食べた。私はまた父が遠のくようで少しさみしかった。

父への弔辞

お父さんのおかげで今の僕があります。今の自分に自信があるわけではありません。ただ、お父さんは僕のやりたいように、今までの人生を歩かせてくれました。大学院を修了して、就職して、人なみの生活をすることができたら良かったのですけれども、僕は病気になってしまいました。息子らしいことは何もできず、お父さんに苦労ばかりかけてしまいました。お父さんは定年まで働いたと思ったら、脳梗塞を患ってしまい、血管性認知症になった後は、加速して、衰えていきました。お父さんはいつも真面目に頑張る人です。僕はお父さんの真面目に頑張るところが大好きで、僕もそうありたいと思います。お父さんは仕事で会得した役立つことを教えてくれました。例えば「3M」「無理・無駄・ムラ」をなくすように教えてくれました。僕達家族の為に家の建て替えを考えて、毎日、設計図に線を引いては、消し、引いては、消しを繰り返して、立派な家を建てました。生涯で3軒目の家です。また、家族・親族の為にいつも新しい車を運転して、旅行に連れて行ってくれました。僕は少しずつ働けるようになって、実家を出た後、お父さんと一緒に食事をするのが楽しみでした。僕の好きな肉かけ丼をほおばるお父さんやお父さんの好きな寿司を食べたのを覚えています。お父さんの誕生日や記念日にささやかなお祝いをしました。お父さんは定年後には釣りに行く生活をしたいと言っていました。でも、闘病ばかりの定年後になってしまいました。僕はこれから、お父さんやお母さんの為に、ちゃんと社会で貢献できるように生きていきます。僕を生み育ててくれて、本当にありがとうございます。尊敬できるお父さんの子で良かったです。ありがとう。

母の誕生日

偉大なる、お母さんへ

いつも色々とありがとうございます。誕生日、おめでとうございます。妻から、「お母さんの誕生日のお祝いに、お手紙を書きましょうよ。」という、私にとっても、ありがたい提案がありました。

私が常日頃から思うに、私の最大の幸福は、お父さんとお母さんの子として、生まれてきたことです。こんなに自由に、自分勝手に、生きてこられたのは、お二人の甚大なるお力があってのことと、心から感謝申し上げます。それにも関わらず、私は自分の人生や家族を大切にしない、親不孝な息子でした。命やお金や時間を浪費して、お二人の人生や家庭や家計を圧迫したことをお許し下さい。

働いたり、子育てしたり、家庭菜園をしたり、お父さんの介護をしたり、本当に大変なことを、当たり前のようにやっているお母さんを私は、「世界一の母」と思っています。そんなお母さんに、旅行やおしゃれや遊びもさせてあげられない自分を情けなく思います。これからは、私が実家に帰った時だけでなく、少し私をあてにして下さい。私にできるのは、お母さんの愚痴を聞くことくらいかもしれませんけれども。

お母さんは、おばあさんよりも、長生きすることを目標とされていたましたね。是非、元気で長生きして下さい。お願い申し上げます。

コスモス

コスモス