死生観

独り言

死生観とは、死と生に対する見方をいう(ウィキペディア)。

先日、伯父が亡くなった。母方の親族のご意見番で、伯父の言うことは絶対的な影響を与えていた。父の葬儀の時も、伯父に粗相のないように、細心の注意を払ったものだ。

伯父が亡くなったと聞いて、駆けつけた。伯父の威厳は消え去り、穏やかな死に顔をしていた。どんなに立派に生きた人でも、死んでしまってはおしまいだと思った。

父が亡くなった時も考えたが、伯父の死で、これから自分の死に向かってどう生きていこうかと私は考えた。

今まで、私は自己投資のためと、多くの本、コンピュータ、ネットワークを確保してきた。これを利用して、いずれは個人事業を立ち上げようと思っている。

個人事業と言っても、幅広く、何をするかを明確にする必要がある。私は、当初、デリバリーのサイトの運営を考えていた。しかし、私の生活圏内にも、大手が進出していることや、地元の商工会で、同様の考えが既に実現されていた。言い訳となるが、出遅れである。入り込む余地はない。しかし、事業の仕組みをコンピュータ上で実現することは、私のスキルアップにつながることに違いないので、継続して臨みたいと思う。

コロナ禍の今、他に自室でできる事業を考えると「アフィリエイト」があるだろう。そのための学びもいまさらではあるが進めたいと思う。

私の半生を顧みたとき、「生物学」「インターネット」「福祉」という3つの分野が思い浮かぶ。どれも、中途半端だ。

私は学生時代に水産学修士を修了している。動物(魚類)の行動を専門としていた。私の研究は「視覚(特に色覚)」に特化していた。そこそこ学んだと自負している。

就職先は、水産流通業を考えたこともあったが、時代の変化を感じ、インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)に就職した。プログラミングを任されたが、私には無理だった。

その後、地域の福祉のお世話になり、暮らしている。私の住んでいる街は、ベッドタウンでありながら、手薄な福祉で社会資源も枯渇している。現状を変えようと私は、人の集う場をつくり、問題点を洗い出している。

上記のそれぞれは無関係な領域のように感じられるかもしれない。しかし、文書・資料作成能力やプレゼンテーション能力やネットワーク構築技術を身につけることができたと思っている。これらが私の武器だと思う。何とか自分の能力を活かして生きていきたい。

そして、これ以上の後悔のない人生を送って、死に向かって進んでいきたいと思う。

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